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火にあたる

つめたい つめたい 冬の朝。
近所の畑沿いの道でやっている、朝市をめざしててくてくあるく。

きょうは、キャベツとさといもとキウイを購入。欲しかったほうれん草とブロッコリは品薄で売り切れていた。

すこし外れたところで、山のしいたけを並べているおじいさん。
いつも、一人でドラム缶で薪を燃やした火にあたっている。
今日は、おじさんのお誘いにのって、焚き火にあたらせてもらう。

おじさん、歓迎してくれて、土の上で薪をしいて、私の座席をつくってくれる。
これでつめたい地面に座らないですむ。快適。

おじさん、お年は87歳だそうです。
ちょっと離れた山から(5キロくらいあるかな)いつも一人で軽トラを運転して、しいたけをつんでくる。
「こんなんになってしもうた」と見せてくれた手には、深く亀裂が入り、そのなかに土がはいって、洗ったくらいではとれない感じ。「いたいで~」とさすっている。
今でも山に入り、木を切る。野菜やしいたけの栽培に忙しい。
「まいにち、あさ12時半にはおきるで」とおじさん。
「それは朝じゃない~」と、笑いあう。

目の前の火で、私のジャージのズボンが溶けそうになってる。。
そういえば、おじさんは綿や毛のものばかり着ているなあ。

87歳になって、こうして仕事をして、人に出会って、こんな風に年をとるなんて、おじさんの自然や当たり前が、私にとっては大きな憧れ。

山ふかいおじさんの家。
実は、私、知ってるんだ。
「こんど来たら寄って行きや」
と言っていただき、「ほんとに行くね」と返した。

この前も、山に一人で車でずんずん入っていって、畑しているおじさん見てたんだ。
今度から、声かけますね。

ありがとう。

帰宅して、起きてきた三女を抱くと「おかあさん、煙のにおいする。」
という。「いいにおい」って。

木を燃やした、焚き火の匂いはいいにおい。
たぶん、生まれる前から知っていた、いいにおい。
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定型発達症候群

ルーク・ベアドン著の『アスペルガー流人間関係』の中に、こんな記述があるらしい。


~「定型発達症候群」~


  「定型発達症候群」(Neurotypicalsyndrome)は神経学的な障害であり、社

  会の問題に対する没頭、優越性への幻想、周囲との適合への固執という特徴を

  もつ。定型発達者(NT)は、自分の経験する世界が唯一のものもしくは唯一正

  しいものであるとみなす傾向がある。NTはひとりでいることに困難をもつ。NT

  は、さして重要に思えないような他人の差異に対してしばしば非寛容である。

  NTは集団になると、社会性および行動において硬直し、集団アイデンティティ

  を保持する手段が機能不全で、破壊的になり、信じ難い儀式の遂行に執着する

  ことがよくある。NTは率直なコミュニケーションを苦手とし、自閉症スペクト

  ラムの人に比べてうその出現率が高い。


言わずもがな、定型発達症候群とは、この社会に生きる大部分の、自分は発達障害や、いかなる障害とも無縁であると思って生活している方たちのことです。
しかし、その「ノーマル者」がそれほど幸せに生きているといえるのかな。

新たな示唆に、富む視点。
この視点を忘れないでいたい。
私は、障害をもつと診断されたことはないけれど、多くの自分しか知らない生きにくさを抱えています。

けど、それらの「行きにくさ」とよばれるものは、本当は大事にしなくてはならないものなんだろうな、ということが、少しずつわかってきています。
すべての芸術は、過去の方たちの「生きにくさ」から生まれている、ともいえるように思います。
私は、自分の生きにくさを、芸術に昇華できるだけの力を、まだ持ちえていない。
私が、自分のことでつらいと感じるとしたら、そこの部分なんだと思います。

勇気、がないだけのこと。


今日は国政選挙の投票日でした。
政治家の方たちのなかには、この「定型発達症候群」な方たちが多数いるように、感じるのは、私だけではないのではないかな。。そうか、テレビの向こうのあの人は、定型発達症候群なんだ。

みずうみをつくる

私が小学校3、4年のころ、子どもたちのあいだで、まことしやかにささやかれた話があった。

みずうみがつくれるらしいよ。
地面穴を掘って、ビニールをはって、石で止めて、そこに雨水をためておくと、
雨のたびにみずたまりが、どんどんと大きくなって、近くの家とかも飲み込むほどになって、
そうなるともう人の手では、みずたまりがみずうみとなっていくことを止められないらしいよ。
こわいねぇ。

わたしは、友達が話してくれたその話に「へええ~」と聞き入って、絶対自分で試してみようと思った。
けど、もし自分の住んでいる家までみずうみに飲み込まれて、住めなくなったらどうしよう。
きっと困ったことになる。と思うと、なかなか勇気がでなかった。

売れ残った分譲地がところどころ残って空き地となっている場所に、ビニールが敷いてあると、どきどきした。
「だれかが、みずうみを作ろうとしている。隣の家はきっと水の中に飲み込まれてしまうんだな。」
と、期待と不安でどきどきした。


いまでも、じめんにビニールがしばらく敷いたままになっていると、そのときの期待と不安がうずきだす。

「あ、誰かがみずうみをつくろうとしている。もうすぐこのあたりは、みずうみに飲み込まれてしまうんだろう。」


最近、このことをなぜかよく思い出す。

見慣れた景色に、みずうみが入り込むことを、どこかで期待しているのかもしれない。

大人になって、純粋な期待を持つことはだんだん難しくなっているのかもしれない。
大人の「期待」のなかには、損をしないことや、得をすることや、守られることや、自分が成長することなど、実際的な要素がどうしても入りこんでくることが多い。

ただ、「ビニールと石でみずうみが作れるかもしれない」などという他意のない純粋な期待からは、いつのまにか遠くなっていたのかもしれない。

そういう期待を忘れてはいけないから、心の深い部分が教えてくれているのかもしれない。
ただの、本当にただの「期待」に心を動かしながら、生活していくことが、たぶん私には心地よいこと。
このままいくつになっても、そういう期待と遊んでいたい。

自分の人生に、過剰な期待も不安ももたずに。
プロフィール

ita-j

Author:ita-j
板坂 淳子(山本 淳子)
1974年生まれ
関西在住

家族 夫と3人の娘

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