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あのころ

久しぶりに、村上春樹の『ノルウェイの森』を手に取った。

いつのまにか、私はノルウェイの森に出てくる、自身の大学時代を回想する主人公と同じ齢になっていることに気付く。

私も、大学時代、いろんな人に出会った。
出会った人たちの濃さ、バラエティで言えば、それまでのどんな時代とも、それからのどんな時代とも、比較にならないだろう。今となっては、それらの思い出は、適度にセピア色になってきて、ようやく「ながめる」ことができるようになったようにおもう。痛いような、切ないような思い出さえも、だんだん「ながめる」ことが、できるように、なってきたように感じる。20年たって、少しずつ。

ノルウェイの森の主人公も、そうやって、必要な年月を経過して、ようやく文章という不完全な器に、不完全な思い出を盛ることができた、と書いている。

私も、ノルウェイの森の主人公と、同い年になったのだ。
知らぬ間に私は、一時代、超えてしまっているんだ。そして、もう二度と、あの色の世界を歩く事はないんだな、ということに気付く。

ある種の安堵と、さみしさとともに。


一人、大学時代の知り合いで、今でも親しく付き合いのある人がいる。
ある意味、一番強烈な出会いを残していった人だ。
その人は、私の自宅で、毎日靴下を探していたり、ベランダでタバコを吸ったりしている。
私の自宅が、その人の自宅でもあるので、仕方がない。

大学で会っていたその人は、もっと痩せていて、筋肉質で、目が鋭かった。
そんな思い出も、セピア色だなぁ。
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植物

以前からだったが、最近、本当に植物にたいして心が惹かれる。

その幹に、葉脈に、実の、いろかたちに。

以前、一人で住んでいた小さな家のうらの野原で、ふしぎなことに気付いたことがあった。そこの野原は、春先になるとカラスノエンドウが盛んで、たくさんたくさん芽を伸ばしていたんだけれど、そのどれもが、自分のつるを、ちょっと離れたフェンスに向かって伸ばしてきていたのだ。その距離、1メートル以上もあるものもある。

植物は、どんなセンサーを使って、そちら側に自分の身体を支えるものがあると、認知したのだろうか。
なにか、私たちのしらない、感知できる力を持っているにちがいない、とそばで暮らしていると、その成長の仕方に、ほんとうに不思議な知恵を感じた。

生物の自己組織の研究をしているという、三輪敬之教授の対談で、興味深い箇所を見つけた。植物は、場の全体的な状況を先読みし、成長しつつ、状況の変化を読んでいくことができているという。
あ、これは私が野原でみた、カラスノエンドウ、とピンときた。

人工林ではなく、原生林に近い森に入り、上を見上げると、それぞれの木の葉が、重ならないように、上手に幹を伸ばしているのをはっきりと見ることができる。まるでパズルのように、きれいにそれぞれの木が自分の領域を保ち、隣の木の領域を侵すことなく、枝葉を伸ばしている。

脳のない植物にも、予測・予知の能力があるということは、意識というものを考える上で、とても参考になるように感じる。私たちと、時間、空間の捉え方が全く異なる、まさに時間と空間を越えたところに、植物の意識があるように思う。

植物から学ぶこと、たくさんたくさん。


ああ、森に行きたいな。
そして、森に住みたい。

プロフィール

ita-j

Author:ita-j
板坂 淳子(山本 淳子)
1974年生まれ
関西在住

家族 夫と3人の娘

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