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おひさしぶり

以前のブログを読むと、じぶんが案外いい人そうで、けっこうおどろく。

山本ネコは、夫が「うちの子にします」という宣言をし、その後我が家にいてます。
いまはコタツでねています。

ベッドの下から出てこないこと1ヶ月。
体中を掻きまくり、毛がごっそりぬけて体中に脱毛がみられて1ヶ月。
そのごそろりそろりと私たち家族に心を開いてくれるようになって、いまはコタツでグーグーねています。

生き物の命を引き受けることは、なかなかたいへんです。
とくにこの団地はペット禁止なので、大きな声でないて外の友達ネコを呼び始めたら、はらはらします。
お正月も皆で家を空けることができなくなりました。ネコちゃんのお世話があるから。

必然があって家族になった、と夫が言ってました。
分からないけどそうなのかもしれないです。

おやすみなさい。

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虹の根元

ずっと前から、虹の根元を、ひとめみたいと思っている。
虹に出会ったら、状況が許せばいつも、「根元のほう」に向かってあわてて移動する。

車を運転しているときは車で、自転車に乗ってるときは自転車で、歩いているときは走って。

けどいつも「根元のほう」に根元はなく、その先に消えかかった虹があるだけだった。
その先の虹の根元のほうに向かってまた、移動をくりかえすんだけど、根元に出会ったことは、残念ながらまだない。

今日、読んでいた村上春樹のエッセイに、何気なく書かれた一文。

「虹の根元ってみたことありますか?僕はあります。かなり不思議な光景だった」

虹の根元を見た人、いるんだ。

かなり不思議な光景の詳細を聞きたい。
すごく。
村上春樹に、すごく聞きたい。

定型発達症候群

ルーク・ベアドン著の『アスペルガー流人間関係』の中に、こんな記述があるらしい。


~「定型発達症候群」~


  「定型発達症候群」(Neurotypicalsyndrome)は神経学的な障害であり、社

  会の問題に対する没頭、優越性への幻想、周囲との適合への固執という特徴を

  もつ。定型発達者(NT)は、自分の経験する世界が唯一のものもしくは唯一正

  しいものであるとみなす傾向がある。NTはひとりでいることに困難をもつ。NT

  は、さして重要に思えないような他人の差異に対してしばしば非寛容である。

  NTは集団になると、社会性および行動において硬直し、集団アイデンティティ

  を保持する手段が機能不全で、破壊的になり、信じ難い儀式の遂行に執着する

  ことがよくある。NTは率直なコミュニケーションを苦手とし、自閉症スペクト

  ラムの人に比べてうその出現率が高い。


言わずもがな、定型発達症候群とは、この社会に生きる大部分の、自分は発達障害や、いかなる障害とも無縁であると思って生活している方たちのことです。
しかし、その「ノーマル者」がそれほど幸せに生きているといえるのかな。

新たな示唆に、富む視点。
この視点を忘れないでいたい。
私は、障害をもつと診断されたことはないけれど、多くの自分しか知らない生きにくさを抱えています。

けど、それらの「行きにくさ」とよばれるものは、本当は大事にしなくてはならないものなんだろうな、ということが、少しずつわかってきています。
すべての芸術は、過去の方たちの「生きにくさ」から生まれている、ともいえるように思います。
私は、自分の生きにくさを、芸術に昇華できるだけの力を、まだ持ちえていない。
私が、自分のことでつらいと感じるとしたら、そこの部分なんだと思います。

勇気、がないだけのこと。


今日は国政選挙の投票日でした。
政治家の方たちのなかには、この「定型発達症候群」な方たちが多数いるように、感じるのは、私だけではないのではないかな。。そうか、テレビの向こうのあの人は、定型発達症候群なんだ。

みずうみをつくる

私が小学校3、4年のころ、子どもたちのあいだで、まことしやかにささやかれた話があった。

みずうみがつくれるらしいよ。
地面穴を掘って、ビニールをはって、石で止めて、そこに雨水をためておくと、
雨のたびにみずたまりが、どんどんと大きくなって、近くの家とかも飲み込むほどになって、
そうなるともう人の手では、みずたまりがみずうみとなっていくことを止められないらしいよ。
こわいねぇ。

わたしは、友達が話してくれたその話に「へええ~」と聞き入って、絶対自分で試してみようと思った。
けど、もし自分の住んでいる家までみずうみに飲み込まれて、住めなくなったらどうしよう。
きっと困ったことになる。と思うと、なかなか勇気がでなかった。

売れ残った分譲地がところどころ残って空き地となっている場所に、ビニールが敷いてあると、どきどきした。
「だれかが、みずうみを作ろうとしている。隣の家はきっと水の中に飲み込まれてしまうんだな。」
と、期待と不安でどきどきした。


いまでも、じめんにビニールがしばらく敷いたままになっていると、そのときの期待と不安がうずきだす。

「あ、誰かがみずうみをつくろうとしている。もうすぐこのあたりは、みずうみに飲み込まれてしまうんだろう。」


最近、このことをなぜかよく思い出す。

見慣れた景色に、みずうみが入り込むことを、どこかで期待しているのかもしれない。

大人になって、純粋な期待を持つことはだんだん難しくなっているのかもしれない。
大人の「期待」のなかには、損をしないことや、得をすることや、守られることや、自分が成長することなど、実際的な要素がどうしても入りこんでくることが多い。

ただ、「ビニールと石でみずうみが作れるかもしれない」などという他意のない純粋な期待からは、いつのまにか遠くなっていたのかもしれない。

そういう期待を忘れてはいけないから、心の深い部分が教えてくれているのかもしれない。
ただの、本当にただの「期待」に心を動かしながら、生活していくことが、たぶん私には心地よいこと。
このままいくつになっても、そういう期待と遊んでいたい。

自分の人生に、過剰な期待も不安ももたずに。

縁(えにし)を纏った本

昨日、知り合いのお宅に三女と二人でおじゃまさせていただいた。

その方(Mさん)は、ときどき「のろま庵カフェ」という名で、おいしいお料理をたくさん並べて、自宅を開放してくださる会をひらいていらっしゃる。前回から、友人の誘いで参加させていただいているのだが、今回は、私たち一組だけの参加となり、申し訳ないやら、ありがたいやらの気持ちでお伺いする。

もうすぐご自宅のリフォームをされる、とのことで、部屋の片付けをされているMさん。もういらない本をくださるとのことで、書斎におじゃまさせていただいた。
たくさんの専門書や、小説や、さまざなな本がいっぱい。
その中から、勉強の本や、いろいろ、紙袋いっぱいに拝借させていただいた。
そこには、なんと私にとってはどうしても手にとりたい本なんだけど、幻でしかなかった『クレーの日記』まであって。胸いっぱい。

今日になって、三女が幼稚園に行き、一人の時間をもてたところで、その紙袋いっぱいの本をゆるゆると紐解いていく。どの本も、ああ、Mさんのあの部屋から来たのね、とうれしくなる。

1975年に出版の自閉症の子をもつ、母親たちの手記。当時の母親たちの、世間に謙虚でありながら、したたかな強さ、母親であることのすごみ、に驚嘆する。まだまだ、自閉症という症状に対して、世間の認知も低かったころ。こうした、その子のそばにいる母親たちの努力と、涙と、喜びがあって、いまがあるんだな、と身に迫る思い。

村瀬加代子先生の著書。逃げたいような事例に、きっちりと向き合い、本質を見抜く強さ。なんて方なんだろう、と呆然としてしまう。

神田橋條治先生の『発達障害は治りますか』 当事者の方から立ち上がるニーズを見抜き、それに応える処方や技法を提供するという立ち位置の小気味よさ。本当にすごい。

まだまだいろいろ。

そしてこれらの、私にとってすごく大切なことが載っているいくつもの本が、あの方のお部屋からきたという「何か」を纏って、目の前にあることのありがたさ。
それは、出版物である本でありながら、唯一無二の「何か」を纏って、私に迫ってくる。

ああ、ありがたい。
それらの本を読んでいても、目の奥がじんじんするくらい、うれしくてありがたい。


それらの本に囲まれながら、いまなら私たぶん、宙返りできるかも、って思えます。

そのエネルギーを、修士論文につなげなきゃいけないですね。

ありがとうです。

プロフィール

ita-j

Author:ita-j
板坂 淳子(山本 淳子)
1974年生まれ
関西在住

家族 夫と3人の娘

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